明治時代の荒子村の地図

 荒子は前田利家公生誕の地として有名ですが、一応、現在は名古屋市内にあるわけでそこそこ都心からも近く、公共交通機関も最寄り駅は地下鉄東山線の「高畑」があることからそこそこ住宅街になっています。

ただ、町内会の寄り合いでジイさん連中に話を聞くと、今の70代前半くらいの方々は、自分達が子供の頃は田んぼしかなかったと口をそろえて言うんですよね。

もちろん、うちの義父もこの地区出身なので、聞くと同じ話です。なんでも、荒子観音の北側、つまり、荒子北部町内会や荒子1部のテリトリーは、全部、田んぼだったそうです。今は荒子公園と民家しかないんですけどね。

そんなわけで、昔の地図を調べてみたらありました。明治時代の地図が!いやぁー、本当に便利な世の中にんりましたね。明治時代の荒子村、町おこしページに紹介することにしました。よかったら、チェックしてみてください。

>>明治時代の荒子村

他にも昭和21年位からの航空写真のリンク先も見つけたのでリンクつけといた。1946年(昭和21年)から約10年単位で航空写真を観察すると発展の流れがよくわかる。また、荒子村は、荒子観音と神明社から南側はほとんど変わっていない。古い地図を見る限り、このあたりでは、荒子観音南側の荒子3部や大門東あたり、北側は、高畑三丁目付近が主な集落があった場所のようだ。

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